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縣神社について

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神社略由緒

当社は天孫(天の子孫)天津彦彦あまつひこひこ火瓊々杵尊ほのににぎのみことの妻、「木花このはな開耶姫命さくやひめ」を祀り、神代(日本神話における時代区分、桓武天皇即位までの時代)以来当地の地主神でした。「あがた」の名は上古(一般的に桓武天皇即位から大化の改新までの時代)の「あがた」(大化の改新前に皇室が直轄した領地)の守護神であったことを示します。
永承7年(西暦1052年)、藤原頼道の平等院建立にあたり総鎮守となり、平等院の地主神として祀られています。平安時代、平等院建立以前では藤原道綱の母が宇治に来た時、『蜻蛉かげろう日記』に「あがたの院」に詣でたことを記しています。
明治維新までは、大津市の三井寺円満院えんまんいんの管理下にありましたが、「神仏分離令」により三井寺から独立しました。以降数度の改築を経て、現社殿は昭和11年(1936年)造営となります。
あがたの森と称される古社は「あがたさん」と呼ばれ親しまれ、千数百年の歴史を誇ります。
縣神社の祭事と由来をさらに詳しく読む..[PDF]

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桜の花の語源とも言われるコノハナサクヤヒメに因む神紋

御祭神

木花開耶姫命このはなさくやひめのみこと(木花咲耶姫命)
又の御名は神吾田鹿蘆津姫命かみあがたあしつひめのみこと

御祭神の「木花開耶姫命このはなさくやひめ」は日本神話に登場する女神で、桜のように儚く散った絶世の美女です。伊勢神宮に祭られている神様「天照あまてらす大神おおみかみ」の孫である「天津彦彦あまつひこひこ火瓊々杵尊ほのににぎのみこと」の奥さんで、父である「大山祇命おおやまつみのみこと」の次女。
ニニギノミコトは日向の海辺でコノハナサクヤヒメと出会い、一目ぼれし、すぐに妻になったとあります。サクヤヒメはたった一夜にして妊娠したので、ニニギノミコトは本当に自分の子かと疑われました。するとサクヤヒメは疑いを晴らすため、出産時に産屋に火を放ち「もし天神の子でなければ助からない、けれどもし本当に天神の子なら助かるでしょう」と言い、無事に三人の子を出産されました。疑いは晴れ、ニニギノミコトはとても喜ばれお祝いをされました。
このことからも、コノハナサクヤヒメは結婚・安産の神として信仰されています。

宇治には神おわす 中をば菩薩御前 
橘小島のあたぬし 七宝蓮華はをしつるぎ
(梁塵秘抄 巻第二四句神歌百七十首
 二七一番)

『黄檗文華』第百二十六号(二〇〇五ー二〇〇六)
黄檗山万福寺文華殿 平成十九年七月三十一日発行 抜粋

あがたさん

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